感性ってやつが
木曜日、こんにちは。
こう書くと、サガンの『悲しみよ、こんにちは』みたいでちょっとアンニュイな気配がしますね(アンニュイって、、、となんか自分に突っ込んでしまった)。
サガンを読んだのは、確か高校の頃のはず。
当時、『an・an』なんかに出てくる芸能人やらモデルさんやらのインタビューのプロフィール欄に、「愛読書は○○」とか「好きな映画は○○」なんてよく書かれていた。そのなかに結構な割合でサガンの『悲しみよこんにちは』を挙げている人が多かった。
例えば映画だったら『ミツバチのささやき』。藤井フミヤも「何度も見た」なんて書かれていた。どちらかといえば「アイドル」的なフミヤが、派手さのないアートっぽい作品を見ている。つまりフミヤはアイドルというより、ミュージシャンなんだって裏付けされているような記述。
映画好きなら『ミツバチのささやき』を知っている人も多いと思う。いわゆるミニシアター系で上映される、どちらかといえばマイナーな「スペイン映画」だけど、当時のレンタルビデオ屋(VHS時代)には置かれているところが多くて、わたしが通っていた「ビデオ合衆国」にもあったので借りて見た。
もう、ぜんぜん、わからなかった。おもしろくもないし、地味すぎて物語展開も、意味もあんまよくわからない(背景を知っていたら違ったと思うけど)。
とにかく当時はそんな自分は、感受性が鈍いのだと哀しかった。なのに友達と話すときに。、「すごいよかった」なんて言ってた覚えがある。恥ずかしいことに。
大人になってから、たぶん30になった頃、わたしは映画好きという人に会うと、『ミツバチのささやき』は好きかと聞きまくっていたことがある。半分くらいは「昔に見た。結構好き」なんて言ったけど、半分くらいは「覚えてない」とか「いや、別に」とかたいした反応がなかったように覚えている。
そうやって聞き続けたのは、『ミツバチのささやき』のような感性リトマス紙のように語られる作品があることが、どこかゆるせなかったからだ。
でも、こうやって書いていて思うのは、その感性リトマス紙を誰よりも強く意識して、反応していたのはわたし自身だったのだろうな。やっぱ恥ずかしい。
今ならもっと素直な気持ちで『ミツバチのささやき』を見られるのだろうか。『蜘蛛女のキス』にも同じような(ねじれた)思いがある。アレを分からないのは、感性が……ってやつが、と。
サガンの『悲しみよこんにちは』も、わたしにはそんな小説なのです。
初めて読んだとき、「ちっ、だりー女の書いた、だりー話だな」って思った。なのに本棚にずっと並べていた。マルグリット・デュラスも隣に並べてたと思う。林真理子の『葡萄が目にしみる』のほうが百倍好きだったけど、それは後ろの見えないようなところに押し込んでいた。なんとなく感性ってやつが……以下略。
つい最近、半世紀ぶりくらいで『オズの魔法使い』を手に取った。神戸のハーバーランドの大垣書店の新潮文庫の棚で、にしざかひろみさんの素敵な装画が目に入り、「オズか〜大好きだったなあ〜」と懐かしくなって買ってみたというわけだった。
小学生の頃は、もちろん文庫ではない大きな判型で読んだ記憶がある。あと、もっともっと絵が多かった気がする。
とくに覚えていたのは、緑色のきれいな挿絵。魔法使いの住むオズの国は、すべてがエメラルド色をしていて、エメラルドの宝石がいたるところに埋め込まれている。
その絵がとっても好きで、50年くらい、ずっと心のなかで「好きな児童書」のトップ10にあったはずだけど、今回読み返してみたら、半分以上は初めて読むみたいに、全然覚えてなかった。驚いた。結末すら、違った。わたしのなかでは、また竜巻で家ごと故郷に帰れた……みたいな話になってた。全然違うやん! 自分の記憶に衝撃やわ。
びっくりついでに言うと、今年の初めの頃だろうか。ジェイン・オースティンを初めて読んで、おもしろさに驚いて、片っ端から読んだ。『高慢と偏見』『エマ』『分別と多感』『ノーサンガー・アビー』を立てつづけに読了し、ジェイン・オースティンの冴え渡る筆に痺れていたのだけれど(どの作品も一気読みする面白さだったし)、今朝、ぼんやりその文庫本が並ぶ棚を見ていたら、作品の一つひとつがほとんど思い出せないことに気づいた。ええ、あんなに面白かったのに!?
『ノーサンガー・アビー』の子はゴシック好きの妄想炸裂ガールだったなあとか、『エマ』のエマはお節介焼きの思い込みの強い子でクラスにいたらたぶん友達なってない、とか。そんなことしか思い出せない。
わたしはいったい何を読んだのだろうか。こんだけ忘れてるってことは、読んだなんて言えるんだろうか。いや、読んだ、としか言えないのではないか。
なんてぐるぐる考えていました。
夏頃から、ひょんなことから、古典と呼ばれる小説を少しずつ読んでいる。
なんとなく最近感じていることは、夢中になって一気読みした作品もすごいけれど、なかなか世界に入れなかったり、読むのがしんどいような、足かせをつけられたように足取り重く読んだ小説のほうが細部まで覚えていることの方が多いような気がするってこと。