あまりに重たい3月の始まりに、思い出したこと
皆さん、こんにちは。3月になりましたね。
神戸はまだもう少し先になりそうだけど、桜が開花しているところもあるようで、春だなあ。路肩にひょこっと姿を見せたなんの草かわからないような緑を見ながら、心が少し明るくなっていた2月の最終週でした。
だけど、ここ数日で、いきなり深い海の底に突き落とされたように心が重たくなっています。
始まってしまった新たな戦争……。
思えばその少し前からアメリカの富豪による性虐待の事件の詳細報道があり、さらには日本の大手出版社が結果として加担した性暴力の事件のことも……。
あまりにつらすぎるので、そういう報道から少し離れたいと思いつつ、手元のスマホでSNSを開くのがクセになってしまっているので、ふとした拍子にスマホを開いては、すごい勢いで流れてくる過酷なあれこれに、心が潰れそうになる。
少しずつそういうものが積み重なっていくうちに、心にすさまじく邪悪な闇の固まりでできた石でも置かれたように、このところもうずっとずどんと重い。
人の命や魂にかかわることだから当然なんだけど。
でも、同時に、どこまでいってもそれらが自分のたった今を脅かしているものではないから、「少し離れたい」なんて呑気なことが言えるのかもしれない、と自分を責める気持ちもある。ちょっと離れて忘れたいなんて思うことは、人として間違えたものだという、後ろめたさがつきまとう。
わたしと同じような人がいるかもしれません。
結論は出ないし、出さなくてもいいのだけれど、わたし自身は「忘れたい」気持ちと、「忘れてはいけない」気持ちは、同時にあっていいように思うのです。両方を抱えているのは、それもしんどいことだけど、揺れるけど、でも、そうしようと。
これは阪神淡路大震災で「被災地の人」となって、毎日、破壊されて奪われてしまった街を見て、感じて生きるなかで、体験的に身につけたことでもあった気がします。
ちょっと思い出したことをつらつらと書きます。
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