「つながりやすい場所」は、「承認と祝福」「敬意と好奇心」のある場。
少し前に放映されたEテレ「toi-toi」「ギャンブル依存症」テーマの回、録画していたものをようやく見られました。
印象に残る言葉が多かったので、備忘録的に書きます。このレターを読んでくださっている皆さんと共有させてください。
番組名のとおり、いろんな問題に対する「問い」を毎回複数の人で考えていくというのEテレ「toi-toi」。
今回の問いは「私たちは、どうしてつながれないんだろう?」というものでした。
「つながり」という言葉は、わたし自身、この数年ずっと自分事として考えている。「ケア」を語るときに、それが誰かに対しての場合も、自分(セルフ)の場合にも、やっぱり深くかかわっているように思う。だから、「どうしてつながれないんだろう?」という問いは他人事には思えない。
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今回の番組で、この問いを立てたのは、現在、人材派遣会社の営業職として働いているギャンブル依存症の当事者・宇都宮駿さん(36)。
番組で紹介された宇都宮さんのエピソードを少し紹介します。
宇都宮さんがギャンブルにハマったのは、まだ20代の頃。「運ひとつで誰かより上に立てるっていう興奮」を覚え、でも最初は気軽に楽しんでいた。だけど、いつしか「やめたいのに、やめられない」状態になってしまう。自分でもどうすればいいのかわからない。あまりに苦しくて、孤独の中で自死を考えた経験も……。
そんな渦中にあった14年間、苦しいなかでも、人生は進み、嬉しいこともあった。大切な人と結婚し、娘さんも生まれたこともそうだ。幸せなはずの家庭。なのにギャンブル問題は、家族の生活に影を落としていく。
家庭内窃盗などもあり、妻の美貴さんも異常に気づいた。でも、彼女も何が起きているのか、どうしていいのかわからない。
番組を見ていて「すごいな」と思ったのですが、美貴さんは区役所の窓口にも相談されたそうだ。
ただ、「大変ですね」と話は聞いてもらえても、それが「ギャンブル依存症」という病気からの問題であること、さらにいうとギャンブル依存症の家族が取るべき行動みたいなものは教えてもらえなかったという。
ここは、本当にむずかしい。その窓口の人が「たまたま」ギャンブル依存などのアディクションに詳しければ、なにかしらきっかけになったかもしれない。
もしかすると、その窓口の人が例えば児童虐待には精通している可能性もあって、そういう人は助けられているけれど、ギャンブル依存の知識がなくて、素通りしちゃうってこともある。
困っている人がどんなふうに困っているのかは実にさまざまで、同時に、支援する側もどんな支援ができる人なのか、実にさまざま。なので、運とか縁とか、そんなものが大きく作用するのが実際のところのようにわたしは思う。とてもむずかしい。行政が、もっと現場で連携してくれたらとは、強く思うのだけれど。
(すみません。ちょっと番組から逸れてしまいました。戻ります)
家族として死ぬような思いで苦しんだ妻の美貴さんは、命にかかわるような最悪のことも考えた。でも、子どもの存在が彼女を踏みとどまらせた(娘さんがいなかったら、悲劇が起きていたことがは想像に難くない)。
ある日、美貴さんは夫のギャンブルについてSNSに呟いた。すると、同じようにギャンブル依存症で苦しむ家族からメッセージが届いた。
結論からいうと、それをきっかけに、二人はそれぞれ(当事者と当事者家族)の回復を支えてくれる支援者たちとつながることができるようになったそうです。
やっぱり美貴さんの「人に助けを求める力」にぐっとくる。とことん悩んで苦しんで、ぎりぎりまで追い詰められても、彼女が「閉じなかった」ことで、こうして突破口が開いた気がしてならない。
人を頼るって、なにに困っているかをきちんと説明したりする必要はなく、ただ、泣き言を誰かに言えばいい。それで十分だと思うんです。だけど、そういうのってとても勇気がいりますよね。とことん困って追い詰められてしまうと、心も口も閉ざされてしまうから。
美貴さん、ほんとうにすごい。泣きそうになったわたしです。
そんな妻の行動をきっかけに、当事者である宇都宮さんは依存症の回復施設につながることができ、同じ依存症の仲間と出会い、回復への道を歩み始める。
美貴さんは当時を振りかえってこんな話をされていた。
「(ギャンブル依存症という病気について知識を得て)夫が悪いんじゃない。病気だからあんなに頑張っても、全然夫のギャンブルって止められなかったんだ、と肩の荷が下りたような気がした」と。
「救われたと感じた」と話す彼女の安堵したような表情に、わたしはまた胸が熱くなったのでした。
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さて、当事者である宇都宮さんは、家族と支援者の助けを得て5年前に社会復帰した。現在は依存症当事者への支援にも携わって、自助グループや相談会で、かつての自分と同じようにギャンブルで苦しむ人の声に耳を傾けているそうだ。
そんななかでやっぱり常に持ち続けているのが、今回の番組テーマとなった「私たちは、どうしてつながれないんだろう?」という問いだ。
宇都宮さんが、その問いを抱えて、番組内で訪ねたのが合気道の道場「凱風館」だった。
おおー!
思わず叫んでしまった。わたしが今回のこの番組を絶対に見たかった理由のひとつが、実はこのことにありました。内田先生がどんな話をされるか聞きたかったのです。
内田先生には以前、ご家族(兄)のギャンブル依存についてお話をお聞きしたことがあります。
凱風館(がいふうかん)の館長である内田樹先生は、武道家であり、フランス現代思想の研究者。凱風館は、1階が道場、2階がご自宅。道場は、年齢も国籍も背景もさまざまな老若男女の門下生が日々稽古に通う、セミパブリックな「場」として開かれています。
実はわたしは今はお休みしているけれど、内田先生に合気道を師事している門下生のひとりなんです(書くのも恥ずかしいくらい、お休みが長くなっているのですが)。
宇都宮さんは、誰かにつながれなかったかつての自分と、現在、支援の場でも感じていることを踏まえて、内田先生にこう打ち明けます。
「『人とのつながり』とか『つながり続ける』って、本当に難しいなと思っていて」

画像はNHKよりお借りしました。Eテレ「toi-toi」の一コマより。宇都宮さん(左)と内田樹先生(右)。凱風館の道場にて
内田先生は、こんな話をされました。
「僕はね、すべての人は何らかの依存症だと思っている。依存(アディクト)している先はバラバラで違うんだけど。
武道にアディクトするのもギャンブルにアディクトするのも、結局、日常生活の中で積もり積もってきた傷とか不満とか、そういうのを洗い流さないと1日が終わらないっていう、生物としての本能があると思う。
弱い毒を抱えた人たちが、毎日17時頃になると、なんとかして流さないと夜寝られないっていう状態でアディクションしていく」のではないか、と。
続けて、こんなことも。
人は生きることで「弱い毒」を抱える。この再生産の構造は、社会を良くしないと終わらない。だけど、社会的にそれができていない。それなら、苦しんでいる人を受け入れて、守って、彼らが変化していくのを支えていくような、「コミュ―ン」みたいなものをとにかく日本中に作っていくことで、社会のゆがみは補正できるんじゃないかな、と。
わたしも凱風館に通っていたので思い出したのですが、道場で合気道のお稽古をするんだけど、同時に、なにか違うことが起きているといつも感じていました。
単に動いて汗を流して気持ちいい以上に、放っておくと自分のなかにたまっていく澱のようなものを流し落とすようなこと。具体的に「これが消えた」とか言えないようなものなんだけど。
また、そもそもの大きな問いである「つながる」「つながれない」というところから、「つながりやすい場所」について内田先生がこんな話をされていた。これがめちゃくちゃ響いた。
「(つながりやすい場所に必要なのは)承認と祝福ですよね。『ここにいていいよ』だけじゃなくて、『いてうれしい。君がここにいてくれて私は幸せだ』と。
なかなか祝福ってしてくれないんですよ。『ここにいてありがとう。君がいるおかげで自分は幸せになった』と踏み込んでくれる人はあまりいない。
承認欲求が満たされて、あ、ここに自分の根があるんだって。そういう場所って、みんなにとって絶対必要」
「敬意と好奇心。愛情を持たれても気が付かない人は多いけど、敬意は気が付く。敬意とは距離感ですから。
あなたのことはよく分からない、よく分からないので慎重に丁寧に扱う。その態度はパッと分かる。どうやってつながれるだろう? とあれこれ試してみる。適切な距離感を持つ、それが敬意」
ああ、なんかすごいわかる(震える)。自分事に引き寄せて恐縮だが「ゲンナイ会」で大切にしていることも、それなんだなと思い当たる。「承認と祝福」、「敬意と好奇心」。
最後に、内田先生が話してくださったことも強く印象に残っている。道場(凱風館)をつくるとき、内田先生の師匠である多田宏先生から言われた言葉が『変なやつがくる』ってことだったというお話。
「(『場』として開いた道場には)自分の理解も共感も絶した人たちがやってくる」「もし自助グループを作るなら『変なやつがくる』」ってこと。
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「toi-toi」は、スタジオでいろんな当事者が対話する、ある種の自助グループミーティングのような感じの番組設定で、この日もいろんな当事者性をもった5人の人たちが感じたことをシェアしていた。全部書けないけど、それぞれ思うことが多かったです。
わたしが特に心に残ったのは、薬物依存の当事者である風間暁さんの言葉でした。
「(内田先生の話を聞いて)素敵な人だなぁ。『共感と理解を絶した人たちがくる。それに対しての承認と祝福』って。それこそが本当の意味での多様性を受け入れるってことだと思うんだよね。
『わかんないし、しんどいんだけど』って調整を重ねていくじゃん、人と人とって。その先にしか私は『つながり』はないと思ってて」
もう一つ、風間さんのこんな言葉も。
「1人で抱えてなくてもいいんだな、みたいなのはちょっと楽かも。ずっと1人で持ってたものを、ちょっと持ってもらう。『この人だったらとりあえず2時間くらい持ってもらうには大丈夫かな?』みたいな。そうやってちょっとずつ『持ってて』とお願いする」
一人で抱えるんじゃなくて、複数の人が共感とか理解しあうとかなしで、ただお互いを受け入れる。「承認と祝福」「敬意と好奇心」をもって。
それができたら、なかでどんなことを、どんな方法でやっていても、その場は悪くない場になるんだと思う。「つながる」ことができなくても、ただそんな場を共有することで、弱いわたしはなにかこう「守られる」んじゃないかな。
(おわり)
「ゲンナイ会」も含めて、これからもいろんな場について考えていきたいと思った三連休でした。自分用のメモみたいなレターで恐縮ですが、読んでいただきありがとうございます。
皆さんにもそういう「場」がありますように。
※ギャンブル問題で悩んだり、迷うことがある方がおられたら。こちら「ギャンブル依存症問題を考える会」は、わたしも信頼している人たちが運営されていますので、よろしければ。
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