抽象的な語り
こんにちは。
明後日がもう7月ってご存じでした!?
週に一度、このレターを書き始めて以来、1週間という時間の早さを毎度念押しされていたわたし。ひと月の早さにも毎月毎月衝撃を受けていました。
「若い頃はどうだっけ……こんな早かったっけ……」
今朝、思い返してみたけどまるで思い出せず。思い当たるのは、若い頃、わたしの場合30代中盤くらいまでは、自分が生きている時間が早いとか遅いとか、考えたことなかった、ってことでした。
わたしはいつも「一度生きてしまった時間はやり直せない」「やり直したくもない(しんどいし、面倒なので)」と思いながら生きていて、人生を振りかえるなんてことがなかったんですよね。
ただひたすら前を向いて、ていうか、自分が向いている方向が前とか後ろとか考えもせず、そこに向かうしかないから必死にひた走る。おおむね40になるまでは、そんな感じ。
疾走感あふれる15の夜に限らず、いわば無我夢中で、感覚的に突き進むことができる。それがつまり「若さ」なのでしょうか。
あきらかに今は違う。だけど、余裕ができて、人生を噛みしめながら、日々、自分の生きる方向を考える……なんてことはまったくなくて、相変わらず、その日その日をひた走るのは変わりない。いや、若かった頃より、もっと必死な気がする。
でも、同時に諦めているんです。進むしかない道を歩く。自分で選んで歩く。選んでないことも抱えて歩く。すべてが思いどおりにならないことを、良くも悪くも「そんなもんだよな」と受け入れて、歩く。歩くしかない。
選んだことも、選んでないことも抱えて生きるとなると、単純に忙しい。その忙しさは生活の忙しさでもある。
朝起きて夜寝るまでに、歯を磨くとか、喉が渇いてお茶を飲むとか、あまりにたあいもない日常の連続で、やりたいわけでもないけどやる必要があるってことが無数に積み重なって待機していて、それだけで忙しい。合間にしなきゃいけない仕事もある。
そしたら一日はあっという間に過ぎて、一週間がすぎて、ひと月が終わっている。
なにもしてないのに、わたしは毎日必死に生きている。
時々、不安になることもあるんです。自分はこんなにたいしたことのない毎日を必死に送って、なにもしてないのに忙しく一日が過ぎていく。もしかすると、まわりのみんなはもっと「すごい一日」をすごして、なにかを達成したり、やり続ける挑戦の渦中にいたり、一日一日に満たされて、それを振りかえって味わっているんじゃないかと。実際に、そういうこともあるんだと思う。でも、そうでもないってことをリアルで聞くこともある。
不安に振り回されてしまいそうなとき、わたしは「時間」の捉え方を変えて自分を眺めなおすことにしている。