「支援」とかではなくて、「抱樸(ほうぼく)」にはわたし自身が助けてもらいたいのです

なにかの活動を応援するのは「支援」という言葉とはちょっと違う、生々しい自分ごと。4月18日に神戸で開催される「抱樸」のイベントに関連して思っていること。それは釈徹宗先生の運営する「むつみ庵」から始まったんだなあ。
青山ゆみこ 2026.04.13
誰でも

皆さん、こんにちは。
すごく暖かくなったり、急に冷え込んだり、身体がついていくのに必死って感じの青山です。

桜が咲いて、そして散る頃って、そういえば毎年こんなだなあ……なんて思いながら、先週末は今季初で麻のシャツを着ていました(気温の変化が極端すぎる)。電車に乗ると冷房がついてるので慌ててカーディガンを羽織ったりしつつ、とにかく「調整」。ひたすらあらゆる物事を日々調整しつつ暮らしている今日この頃。皆さんもきっとありますよね。

着るものもそうだけど、予定って常に急に変わったりする。イレギュラーななにかが起きるときは予告なんてないのだから。人生って突発的な出来事の連続だなともこの年になるとわかる。

それには慣れてくるので、「調整(が必要になる)」をいつも頭のどこかにおいていて、その時々で「なんとなく、これでいこう」という背中を押されて決めたような選択をする。まあ、選んだことがベストかどうかなんて誰にもわからないし、自分でその都度決めた小さな選択が「正解」ということにしてしまおう。

なんてしてしまい始めたら、「こんな選択ダメだった……」なんて落ち込むことは少なくなって、なんでしょう。逆に、「ああ、あれがあったから、この選択ができたんだ」と後から妙に肯定できる。なんてことが、わたしはよく起きています。

例えば、なんですけれど。

昨日、靴を買ったんです。よく歩けるって信頼できる人に勧めてもらっていたブランドの靴を。いくつか迷うモデルがあったので、自分なりにネットで下調べして、ほとんど絞り込んでフラッグショップに到着。

ブルーのカラコンと青いメッシュの入ったボブヘアがカッコいい女の子店員さんが「きゃないへるぷゆー」みたいに英語で話しかけてきたので、「あ、日本語できます(というか日本語しか話せません)」。

そのブランドショップはインバウンドのお客さんが多くて、特に朝イチは旅行がてら人がランチ前に来るので、てっきり外国の人だと思ったらしい。

日本語というかばりばり関西弁で、かくかくしかじかと希望を伝えてから、スタッフの女性に改めて詳しくモデルの特長などを説明してもらって、サイズだけでなく、足幅の型違いや、好みの色までいろいろ出していただいて、じっくり試着して、1時間近くかけてようやく「これ!」と決めたのは、やっぱり事前に選んでいたモデルと色でした。

やっぱ、これが自分は欲しかったんだなあ。納得できてほっとした。

そしたらちょっと気持ちに余裕が出たので、「次回は雨の日のスニーカーも探したいです。今日、ちらっと予習的に見せてもらってもいいですか? 今日は買わないんですけど……」「もちろんですよ〜〜」とブルーの瞳をきらりん。

選んだものにクッションなどの履き心地が近いと勧めてもらったのは、選んだモデルのすぐ横に飾ってあった撥水加工の、濡れた路面でもソールが滑りにくいモデル。色も好みだ。履いてみた。そしたら、ぱっと気分が変わったんです。ていうか思い出した。
そもそもわたしが新しい靴が欲しくなったのは、最近履いてるスニーカーが雨の日に履いたらびちょびちょになって靴下まで濡れちゃうからだったのでは? 晴れの日のスニーカーは今のものがあるので、なにより雨の日用の靴を買わないといけないのではっっ。大事なことをどうして忘れてしまっていたのだろう。

「あ、あの……今日はこれを買います。さっき選んだのはやめます」
「え??」ブルーの瞳が泳いでいる。
「雨の日の靴が必要なんです。1時間近くもかかって選んだのに、ご、ごめんなさい……」(雨の日のそのモデルは3分で買うことが決まった)。

そうしたら、ブルーメッシュの彼女がきっぱり言った。

「いろんなモデルやササイズを実際に試着して、ご自身に合う靴を選ばれたから、こちらのスニーカーの履き心地がいいって思われたんじゃないでしょうか。これを最初に履いたら、またきっと話が違ったんじゃないかと思います。靴ってやっぱり履いてみないとわからないですから。その上で、ご自身に必要な靴を選んでいただけて、とてもよかったです」
名札を見て、今後永久指名でこの方に靴を選んでもらおう、と心のなかで決めて、わたしはグラミーの授賞式ばりに感謝の言葉を口にしていました(店内が外国の人が多くて、テンションがもしかしたらちょっといつもと違ったのかもしれない)。

ブルーのメッシュの彼女は「あは、ありがとうございます!!」と嬉しそうな笑顔で青い瞳をきらきらさせてくれました。なんか幸せだなあ。ハグでもしたかった。

結果オーライなんだ。そう思えるのは、自分なりに迷いを消し込んで納得できたという土壌があるからなんだと思うのです。なんかよくわからない例え話だったかもしれませんけれど。なるようになる。自分が選ぶべきことをきっと選んでいる(はず)。

ですが、実はこの話には続きがあってですね。わたしの手元にはなんと「1時間かけて最初に選んだ(その日は買わなかった)靴」もあるんですぅ。この話は、また改めて書きます。というのは、サポートメンバーの方に読んでいただく『「歩く」を巡る冒険』の続きでもあるからです。

いやあ、なんも無駄なことないわ。うん(全肯定)。

今週末、北九州をベースに活動しているNPO法人「抱樸(ほうぼく)」の奥田知志さんのイベントが神戸で開かれます。2部形式で、後半では、宗教学者で僧侶であり、なおかつ認知症高齢者のグループホームを運営されている釈徹宗先生にくっついて鼎談に参加します。

わたしが「抱樸」を知ったのは、武道家で思想家の内田樹先生が応援されていたのがきっかけだったように記憶しているのですが、とくに強く惹きつけられたのは、奥田さんが生活困窮者の、とりわけ定住せず、いわば路上で生活をする人たちに、「なによりもまず、住むところを」と活動されていたことでした。

わたしは『ほんのちょっと当事者』をはじめ、ことあるごとに書いていますが、経済的な感覚に難があり、人生は常に不安定。たった今も本気で思っていることは、もしこの先しばらくそれなりにぼちぼち生きていけても、加齢による老いでどんどん働けなくなって(身体的にも、社会的な条件でも)、同居している家族がもしいなくなったら、わたしはひとりで野垂れ死ぬんだ。不安に思うというより、そんな未来しか思い浮かばないのです。特に悲観しているつもりはなく、現実って厳しいもんなと、冷静に想像しているつもりなんです。
もちろん、可能な限り働いて、ひとりでも生きていけるように頑張りたいけど、働くって自分が思うほど自由にできるわけじゃない、とどこか諦めているといいますか。
50代半ばの働き盛りの年齢で、脳にダメージを受けて高次脳機能障害や身体障害の後遺症が残り、もう働きたくても働けなくなった父を見ていたから、リアルにその苦しさ(身体的にも心情的にも経済的にも)を考えてしまうんだと思う。

わたしね、いわゆる掛け捨ての生命保険をかけているんです。一番の理由は死亡保険。自分になにかがあったとき、兄弟や、彼らの子どもに迷惑かけちゃいけない。
掛け捨ての保険のかわりに貯金したらいいんだけど、貯金が苦手だから、まとまったお葬式代を死亡保険金でペイしたい。それが生きている間の自分の心に安寧をもたらしてくれるから。

でも、死んだあとのことを想像してまで、「誰かに迷惑かけちゃいけない」と思うのをやめられないって、なぜなんだろう。わたしは「人に迷惑かけちゃいけない」病を心のなかに強くもっているんだと思う。
自分に対してはいいとして、でも、人にもそういう要求をもっちゃったりしたら、嫌だなとも思う。でも、きっと、心のどこかにあるんだろうな。なんかそのあたりは、非常に矛盾したものがわたしの心のなかでねばねばと渦巻いています。

そういうわたしだから、抱樸の奥田さんが、誰もとりこぼさない社会を(すごく大きな理念のところをざっくり持ち出して恐縮です)と掲げる姿勢や活動に、救われる。つまり、野垂れ死ぬかもしれない自分を、この人たちなら助けてくれるんじゃないかと。つまりわたしは「わたしも助けてほしい」と心から思っているのです。

掛け捨ての生命保険の月々の保険料さえ払えなくなって(健康保険とか年金でももう疲れてしまうし)、仕事もできなくなって、住む家もなくなったら、北九州への片道の電車賃だけ握りしめて、抱樸がつくろうとしている「希望のまち」の前で行き倒れよう。そこにはあたたかい布団とごはんがあるはずだから(そこになくても一緒に探してもらえたりするはずだから)。

真剣にそう思っています。冗談ではないんです。人生のリアル選択肢です。

さて、そんなふうに自分の「いつか(終末期)」を考えるようになったきっかけを、さらに遡って思い出すと、それは実は釈徹宗先生の運営される「むつみ庵」の存在が影響しています。

「むつみ庵」は、よくある高齢者向けのホームといった「施設」ではない住環境。古民家を改築しただけの、ノンバリアフリーの住居です。そこで生活をサポートしてくれるスタッフと一緒に、みんなで集まって「普通に暮らす」をしながら、つまり生き続けていくという場所です。むつみ庵にうかがう機会があり、実際の生活風景を目にして良い意味で衝撃を受けたのが2012年頃だったでしょうか。

認知症になったら、むつみ庵に入りたい。そんなふうに思えた希望の場所。

それがあったから、その数年後に、がんになって命の限りを告げられたら、こんな病院に入りたいと思えた淀川キリスト教病院のホスピスを取材するようになったのでした。最後まで普通に食べて生きられたらいいなって。

と、それぞれの時期に、点のように出会った奇跡のような場所の存在がわたしの人生でつながって線となり、その線上に、抱樸の考え方や「希望のまち」があります。

抱樸のしている活動、つくろうとしているものは、「支援」とか「社会的理念」なんて言葉で表現するものではなく、わたし自身の切実な希望、生々しい自分ごとなんです。

という話をじっくりする時間はないと思うので、「実際のところ、わたしは(あくまでわたし)どんなふうに助けてもらえるのでしょうか」ということを当日切実にお聞きしたいと思っています。
というイベント、4月18日(土)です。

100名くらいの方は申し込んでくださっているようなのですが(ありがとうございます!!)、なんせ会場が定員400名というめちゃ広いハコです。汗汗。

ゆったり席をあけてお座りいただけますので、お時間ある方、ぜひいらしてください(参加費も1000円〜と気軽です)。

なにとぞ、なにとぞ。

なんだかお知らせレターのようになったついでといってはなんですが、少し先のことについてもお話させてください。

毎月、神戸をベースに、いろんな本屋さんでもコラボしていただきながら開催してきた「ゲンナイ会」。
思い立って、6、7月頃に初の関東遠征を予定しています。午前と午後にわけて、横浜と東京都内の2箇所で開くことになりそうです。
ただ、ゲンナイ会はかなり少人数で行うので、それぞれ場の主催の方+わたしを含めて10名ほど(つまり参加者受付は8名ほど)になりそうです。
詳細が決まったら、受付告知はまずレターのサポートメンバーの方に先にお伝えします。その後、通常のレターでお知らせしますね。

自分のなかでは「全国ツアー」のはじまりです。可能なら、3カ月に1回とか、季節ごとなんかで、あちこち遠征しようと考えています。もちろん(神戸から)西方面にも行きます。

どうぞお付き合いください〜。
(おわり)

5月のゲンナイ会は23(土)10時半からの予定です。来週あたりに受付お知らせを出します(いろいろ間にあっていません)。

来週こそ、サポートメンバーの方に『「歩く」を巡る冒険』続報をお届けしますっ(だいぶ展開が広がってきました……お話山盛りです)。デモに参加したり、勉強会に参加したり、そんな話も書きたいです。うぅ。

この無料のレターは、有料サポート支援くださっているサポーターの方々のおかげでお届けできています。サポートメンバーの皆さんには感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございます!!

そのようなわけで、もし可能な方はサポーター登録をお願いいたします。とても大きな励ましになります。今後は全国ツアーの「ゲンナイ会」の先行受付もサポートメンバーの方にまずお知らせします。
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