続・めまいを巡る冒険

5年前からわたしにとって12月は特別な月。そんな12月に思いがけない冒険が始まった。始まりはやっぱり「誰かの言葉」と読んだ本。『元気じゃないけど、悪くない』んだけど、やっぱり自分を諦めたくない。
青山ゆみこ 2025.12.01
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12月になりました。
わたしにとっては54回目の12月。毎年訪れるあのそわそわするような、どこかうきうきする気持ち。そういうものもあるけれど、5年前からわたしにとって12月は、特別な感慨をもつ時期ともなりました。

2020年12月、わたしは初めて思考が暴走する躁の体験をしたからです。
2021年の12月は、まだまだいろんなことが怖くて、一年前を振りかえるのも嫌で、息を潜めてやり過ごした。
2022年12月は、「もうあれから2年か」と少し離れて見られるようになっていて、2023年の12月は3年という時間の経過が信じられないような不思議な感覚でした。

2025年の今、あれから5年。
2024年の春に、当時の体験を言葉に留めて『元気じゃないけど、悪くない』を上梓したのもあるかもしれません。12月中旬に訪れた「躁の時の自分」はどこか他人の話を聞くように遠い気もするけれど、あの時のどうしていいのかわからなかった混乱や、恐怖。あの日に自分が目にした、普段とまったく変わらない自宅の風景などはくっきりとすべて思い出せる。わたしはこうして頭がおかしくなっても、世界は変わらず、普通に動き続けるんだなと、それが衝撃だったことも。

本に書いたように、躁の状態は数十時間で、わたしはタラ・ウェストーバーの『エデュケーション』という回顧録に助けられ、ひとまず危機を乗り切ることができた。

でも、その後にむしろわかりやすい「うつ」状態に陥って、自分が大きく変わった。変わってしまった。と感じていた。

動かない身体。鈍い思考。すべてが思い通りにいかない自分。

あんなこと(躁)にさえならなければ、その後のうつも来なかったんじゃないか。コントロール制御不能で、自分ではどうすることもできなかったし、考えても意味がないとわかっているけど、取り返しがつかない、なぜと納得がいかない悔しさはやっぱりあった。

繰り返し、そんなふうに考えるのは、あまり意味がないと自分でわかっている。

というのは、思考の暴走や心身の不調が表面に表れたのは、12月だったかもしれないけれど、その原因、わたしをそこまで拗らせたのは、もっと遡っての時間に理由があって、それは一つではなく50年かけて複雑に絡み合っていた。そのことを、2021年の夏頃からオープンダイアローグっぽいことを仲間たちと始めて、一つひとつ紐解いていったからでもある。

「話す」「聞く」を安心できる場で継続しながら、自分のこの糸が、まさかこんな糸に絡んでいたとは……驚くことばかりだった。紐がほどける瞬間は、すっと肩の力が抜けるようで、不思議な安堵感がある。そのあたりは細川貂々さんとの共著『相談するってむずかしい』でじっくり書かせていただきました。

「うつ」的な症状にショックを受けたあと、文字通り身体が少しずつ動けるようになって、信頼できる人に助けてもらって、春先には「自分の部屋」まで借りて、こう書くと「結構動ける」ようになっていたんですよね。無理にでも動こうとしていたのもあるけど。

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