年をとるってやっぱりわからない日記1.21-1.31
1月21日(火)
先週末、清風堂書店で入手した岸政彦さんと6人の方々との対談集『調査する人生』(岩波書房)を読み始めたら打越正行さん……胸がぎゅっと掴まれる。
歯医者さんで、かぶせものの型取り。根管治療の後半戦を走り抜けるための治療費をまとめてカードを切るとき、自分を袈裟斬りするような心持ちになり、意識を飛ばす。考えてはダメだ。返り血を浴びたまま自転車で帰宅。学生のレポートへの返信をこりこりこりこり。夕方、レター「神戸からの長い手紙」後編を配信。
積んでいたもつおさんによるセミフィクションコミック『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について (シリーズ立ち行かないわたしたち) 』。高校2年、摂食障害からの入院という自身の経験をモデルに描いた作品。映画『17歳のカルテ』も思い出すが、あんなにひりひりしていなくて、もっとやさしい、どちらかといえば読後の感触があたたかくて泣きそうになる。知り合いでも少なくない摂食障害。想像以上にいろんなケースがあることを実感としてもっている。
『元気じゃないけど、悪くない』には書けていないのだが、2020年の秋にパーソナルトレーニングに通ってお酒もやめて、2カ月で8キロ減、体脂肪率は9パーセント減ったあと、鏡を見るのが怖くなった時期が実はある。自分の急激な変化についていけなくなったというか。
その後、心身が折れて動けなくなり自分で食事が作れなくなったので、当時、夫に出されるものをただ食べるようになった。カロリーとか炭水化物とか糖質とか計算することも放棄した。もしもうちょっと元気でご飯をつくることができていたら、「何を食べると正解」ということに縛られていたわたしは、怖くてなにも作れず、食べられなかった気がする。考えられないから、食べられたのだと思う。
この3、4年、健康診断以外で体重計に乗っていない。意識して乗ってないと自分ではわかっている。増加していることはデニムのきつさでわかっている。それで十分ではないか。数値に振り回されたくない。といま改めて気づいた。このことをここで書けて、ちょっとほっとしている。最近、もう体重とかどうでもよくなってきた。年のせいだろうか。こういうのに50年もかかるのか。
1月22日(水)
神戸元町の「1003」になさそうな本は、丸善ジュンク堂書店のサイトでジュンク堂書店三宮店の店頭在庫を確認する。だいたいの本はどちらかで買う。ネット書店はよほどのとき以外は使わない。コロナ禍で本屋さんがぎゅっと短縮・縮小営業になったとき胸が引き千切られる気持ちになり、以降、そう決めた。
SNS投稿で見かけて気になっていた児島青さんの漫画『本なら売るほど』1巻(KADOKAWA)、ジュンクさんに在庫があったのでネット上でお取り置き。午後、ジム帰りに取りに行き、夕食後一気に読む。ふぉーう(思わず声が)。紙のいい匂いがする。手触りもデザインも良き。
学生の頃、「新刊書店」と「古本屋」は、「本屋さん」という大きなくくりにあってわたしのなかで区別してなかった。ペンネもマカロニも「パスタ」、みたいな。全集なんかがドヤっと並んでいる古本屋は「賢い人が行く」ところというイメージがあり、古い本のくすみや色あせは教養の証しに思え、教養が主成分の空間にいるだけで自分の頭がよくなる気がした。
『本なら売るほど』の本棚のエピソードで、2年だけ借りた仕事部屋の本棚を思い出す。賃貸なのにオーダーメイドで作りつけしてもらった深い茶色の本棚。本が埋まる前に部屋をお返ししちゃうことになったので、本が置かれていないただの棚の場所もあったけど、自分が「本棚」と決めた瞬間からそこは最後まで本棚だった。
川内有緒さんのSNS投稿で、講演の依頼についての呟きが目に入る。
“「薄謝ですが謝金をお支払いします」という一文にはなんの意味があるだろう。金額がわからなければ引き受けられるかわかならい。何度でも書きたい。仕事を依頼する時は金額を書こう。特に「薄謝」の場合は、余計にきちんと書くべきだと思う。”
同意しかない。「金の話じゃない」と思うことこそ、まずお金の話をしよう。小学校の道徳の時間で教えてほしいわ。
晩ごはんはCook Doの四川式麻婆豆腐。辛いのが苦手なわたしにはちょうど良く、そこらの中華屋の味は軽くクリアするほどよくできている(きっと何百時間もかけてレシピをつくるレトルト開発の人、ほんと尊敬です)。我が家では麻婆の挽肉は合い挽きではなく国産牛、箱裏に書いているレシピの倍量をたっぷり使う(といっても145g300円分ほど)。豆腐は固めの絹。ごはんがばくばく進む味。
1月23日(木)
共著本の原稿こりこりこり。例えば1万字のものなら1万3千字とかざくざく書いて、最初に書いているときは止まらないようにする。振り返ると自分が間違っているような気持ちにしかならないからひたすら走る。もし、はっきりと間違えた道だと確信した場合は、その瞬間、真横にスライドしてそのまま走り続ける。ペースの維持が重要。反省はあとでいくらでもできる。
夫が忙しそうなので、夜はわたしが作ることになり、スーパーに行くとキャベツがどうしても食べたくなった。あまりに高くて最近全然買えてない。今日は4分の1玉が税込み213円。高級品だ。小さめのやりいかが2割引き。もう焼きそばしか頭に浮かばない。豚ばら肉とすじコンもカゴに入れる。
近所のスーパーでは神戸の森谷精肉店(創業明治6年の老舗)のすじ肉を扱っていて、解凍ものじゃない生でグラム198円なんてありえない特売日もあり、そんな日はすじ肉カレーなどにする。二度ほど吹きこぼして煮込めば全く臭みがない。
神戸はすじ肉+こんにゃくのすじコンがお好み焼きの具の定番で、レトルトものも種類が多い。ただ、ほとんどが「やっぱりレトルト」というか肉質も味付けも微妙。でもSFoodの「お肉屋さんの牛すじコンニャク」はレベチ。とろとろのゼラチン質の加減も抜群で、湯煎したものを卵で包むとお店で食べるようなすじコンオムレツに仕上がる。教えたくないほどなんだけど(なんて食い意地がはって心の狭いわたし)。

この日記用の写真ではなくて、買い物に行くと「晩ごはん、これやで〜」と夫にメッセージを送るのでそれ用に撮った写真。かなり説明的に撮ってるなと気づきました(しらんがな)
夜は、ご自身の発症体験を描いたコミックエッセイ、Himaco『今日もテレビは私の悪い噂話ばかりだし、空には不気味な赤い星が浮かんでいる〜統合失調症の私から世界はこう見えた〜』(KADOKAWA)。映画『どうすればよかったか?』を見て以来、統合失調症への「よくわからないから怖い」みたいなものが自分のなかで激減した。怖いというのは不安でもあるので自分で自由に操れないけど、知識がないから不安になることも多いんだと思い当たる。
わたしもメンタルの調子を崩した際に思考が暴走したことがあるので、統合失調症も他人事とは思えない。人によって違うとはいえ、少しでも当事者の人の見え方を教えてもらえるのはありがたいし、やっぱりどこかこうわかるような気がする。勝手に「気がしているだけ」なんですけれど。
1月24日(金)
ひたすら原稿。午後は磨いて主に削る作業。紙で出力して、細部をちびちびいじる。
集中したい仕事のときは、いつもポモドーロテクニック。タイマーをかけて25分集中して、5分休憩するというやり方。ポモドーロテクニックは作家の津村記久子さんが西加奈子さんの対談時に話されていて知った(2014年に編集担当した『西加奈子と地元の本屋』という小冊子に収載)。脳の隅々まで使えるのだが(体感です)、これを8サイクルほどやると脳みそがつるつるになる。2020年12月に軽い躁になる直前は連日12サイクルほどやって、あれはよくなかった気がする。脳も身体の一部で酷使するとつけがまわってくる。脳も年を取ってるはずだから。
Microsoft 社からサブスクのメールがきて、確定申告の時期なので急に気になって計算してみたらMicrosoft 365 Personal で年間2万ちょいも払ってた。軽く白目。
三宅香帆『「好き」を言語化する技術』読了。とても読みやすいエモい語り口で、同時にかなり実践的ですぐに採り入れられる技術が惜しみなく書かれている。親切な入門書。三宅さんの口調が活きのいいお魚みたいにぴちぴちしていて、若さが眩しい。
1月25日(土)
仕事が立て込んでいるので、毎日楽しみにしてる朝読み時間でさえ気忙しい。本なんて読んでないで、とっとと仕事にかからないと……あせあせ。ということが、書かれていたのが三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。ああああ。
午前中、しゃかりきに校正して、ブラインドパスするように原稿を送信。見ない、迷わない、勢いが肝心なときもある。
昼ごはんにハコネーゼ(ポルチーニ風味)を一瞬で平らげて、午後イチはオンラインで人と会う約束。
夕方からまだ返信できていない学生のレポートの感想を書き始める。来週は成績入力だな。それで後期、終了か。あっという間だったなあ(まだ終わっていない)と、いちいちなにかの区切りがさみしくなる。年のせいだろう。
夫が今日も忙しそうなので、晩ごはんの買い物でスーパー。特売ワゴンで「詰め放題」をやっていて、小ぶりの玉ねぎとじゃがいもを、テトリスみたいに積んで詰める。わたしよりちょっと先輩の女性が、もはや袋からあふれて乗せる状態になっていた。わたしは「そこまでしたらアカン」という遠慮がある。袋の上の線は越えたらだめ、その線はだめ、という。先輩のように仙人が幻想の山を生み出したり自由自在に操る域にはまだ遠い。家に数えると玉ねぎ10個、じゃがいも17個。凡人としては十分じゃないですか。
玉ねぎは皮をむいて丸ごとひと玉を4個(小さい玉なのでル・クルーゼ20センチにギリギリおさまる)。オリーブオイルで表面を焼いて焦がしたあと、別で表面をあぶって水で洗っておいた豚スペアリブとぐちゃっと潰したトマトをコンソメ顆粒でことこと煮込んだポトフ。じゃがいもは煮崩れするのであとからばっこばこ放り込んだ。
夫は粉がらしを練ったものやタバスコと、ほかにもわたしの知らない薬味かソースみたいなもので味を変えて試していた。常にフロンティア精神に満ちている。わたしはマイユの粒マスタードだけという無難にもほどがある人。
