自分にやさしく生きたい。「頑張りすぎない」実践ワークをやってみた
今年の元旦、急に思い立って始めたこのレター。
早いもので今回の更新で13本目となりました。まだ肌寒いとはいえ季節は巡り3月も下旬。ひゃああ。今年に入ってからの記憶がありません。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、実は今日のこのレター、「今回はお休みします」というご報告なのです(えええ?)。
例えば、友人と会食の約束をしていて、でもなにかの都合で行けなくなってしまった。そんなときに、「ごめんなさい」と連絡しますよね。そんなお詫びメールみたいな感じで。
わたしが心身ともに「ポキン」と折れてメンタル不調になったとき、最初にやらなければならなかったこともこうした「ごめんなさい連絡」でした。当時、自分が主催していた「文章添削講座」のやり取りを「少し待っていただけますか」というご相談のようなもの。
自分の都合で迷惑をかけてしまう。
そのことが心苦しく、ずっしりと心が重たくなって申し訳なかったけれど、同時に、正直に事情を話すことができたのは、ただただ「悪い」ことでもなかったのでした。
というのは、メールを送って戻ってきたのは、むしろ「青山さん、無理ないようにしてください」というあたたかい言葉だけで、見守るように心配してくださっているのが伝わってきたからです。
弱ったときに届いてくる親身な言葉に、どれだけ励まされたことでしょう……。ぐるぐると不安のループに陥っていたなかで感じたあの安心感。いま思い出しても、胸がぎゅっと痛くも、じんわりあたたかくもなります。
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このレターを始めた当初、これから新しいことを始めるんだ!と気持ちがぴょんこぴょんこ弾けて、やる気の炎がわたしの胸のうちでぼうぼう燃え盛っていました。
「月4回ほど更新します!」と張り切って決めて、ほんの少しの気弱な気持ちが「ほど」とも言わせていたのに関わらず(今思えば、弱気だだ漏れです)、いやいや「月4回は更新しなきゃ」と自分で縛りをきつくして、さらには「月4回ほど」を「週1回」とまで厳格にルール化してしまった自分。
例えばなのですが。
あるとき、なんとなくゆるっと空き地に人が集まりはじめて、「ここ、なんでもありだよね」「楽しいね」みたいな場所が生まれて、みんなが気楽に過ごしていた。
とても大切な場所だとみんなが感じるようになった。そうするうちに「もっときちんとこの場所を運営しましょう」というザ責任感の塊みたいな人が現れて、「よい場所にしたい」という一心で「ルール」みたいなものを作りはじめた。あくまで自由に楽しく過ごすために。
でも、気づけばさらには「ルールを守っているかチェックする委員」みたいな人も現れて、えー、なんかここ、いつの間にか窮屈じゃない? 楽しくなんかないよ。なぜこんなことになってるの? もうやだ! とみんなが思い始めて、誰もいなくなっちゃった。本末転倒じゃないか。
わたしは、「自分のために」「よかれと信じて」、こんなふうにいつの間にか「自分に厳しくする」ことをやってしまうクセがあります。
その厳しい声に音を上げて、逃げ出したくなるけれど、自分だから逃げられないんです。他の誰に決められたわけでもなく、決めたのはわたし自身だから。
自分決めたことだから、やらなきゃダメだ。ダメなんだ。そんなふうに追い立ててくる自分のなかの「青山さん」が怖い……。
先週はいくつかの締切があっててんてこ舞いでした。週末にはまとめないといけない企画が待機しており(急に決まってあわあわの状況になり)、週明けから、また別の大きめの締切にかからないといけないという状況。かなりプレッシャーを感じていました。
休み明けの月曜日に皆さんに届けるレターを書く時間あるのかな、書けても楽しい気持ちで書けるのかな、書きたいことはたくさんあるけど、余裕がない。余裕がないってなんか地味につらい。うわあああああん。泣きたい気持ち。もうやだ!
というときに、わたしがかつてコーピングについて教えてもらった(オンライン講座や本から)伊藤絵美さんの新刊『自分にやさしくする生き方』(ちくまプリマー新書)が目に入り、読み始めたらまえがきだけで号泣。うわあああああん。

セルフケアしなければならないと「思っていました!!」「なにか問題でも!?」と逆ギレでもするように読み始めたわたし。伊藤絵美さんの本のすごいところは、自身が「この道のダメな先輩」として登場することです。だから「この人ならわかってもらえる」「こんなにわかっている人でもしんどくなることがあるんだ」と「大丈夫!」な気持ちになれるんですよね。この本は実践ワークもたくさん添えられていて、「今すぐやります!」と気持ちが前向きになります。できなかったとしても自分を責めすぎないように、伊藤さんが声がけしてくれます(もうずっと声がけされてる気持ちで読みました)
まえがきに書かれていたなかで、特に突き刺さってきたのは、自分に厳しくすることは人を幸せにしないということ、自分にやさしくすることで人は回復できるという二点でした。
なぜ幸せをもたらさないのに、自分に厳しくしてしまうのか。伊藤さんは、それには社会の価値観が大いに関係しているのではないかとおっしゃっています。小さな頃から今に至るまで、例えば次のようなメッセージを浴びてきているのではないかと。
===まえがきからの引用===
・効率的であるべきだ
・完璧であるべきだ
・頑張るのはよいことだ
・怠けてはならない
・成果を上げなければならない
・休むのは頑張った後だ
・人に頼ってはいけない
・失敗は自己責任だ
・強くないといけない
・弱くあってはならない
・弱音を吐いてはならない
・前向きであるべきだ
・いつも元気でいるべきだ
・自分を甘やかしてはならない
===引用終わり===
全ての項目に渾身で「v」を入れてしまいそうになる自分、思い当たりすぎて涙ぐんでしまったわたし(そんな同志が少なからずいるのではないでしょうか。涙)。
このレターでいうと、「週に1回の更新」を厳守しようとしているのはなぜだろうと考えてみると……。
・自分で言ったことを守れないなんてだめだ
・自分の都合でお休みするとか、自分を甘やかしてはならない
そういう厳しい自分が自分を責める。
また、みんなをがっかりさせてしまうんじゃないか。青山さんってやっぱりダメだと思われてしまうんじゃないか。それを認めることがつらい。頑張れない自分を認めたくない。自分にがっかりしてしまう。その気持ちがまた自分を追い詰める。
繰り返し、ほかの誰にもまったく責められていないのに。
あああ、自分に厳しく生きるのはもう嫌だ。自分にやさしく生きたい(妖怪人間の「早く人間になりたい」みたいな感じ)。
というわけでわたしは決めたのです。「今週のレターはお休みします」ということを報告するレターを、こうしてお届けすることに。無理しない実践ワークとして。
伊藤絵美さんの『自分にやさしくする生き方』を読まなければ、あやうくまた自分にダメ出しして、責めて、追いこんでしまうところでした……。
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わたしがこうして「できないことを説明して謝る」「断る」ようになれたのは、ついここ数年のことです。
自著『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)に書いたように、心身がポキンと折れて、動けなくなって、「できなくなった」からでした。
やりたくてもできない。身体が動かない。そうでもなきゃやり続けてしまう。他の誰に言われたわけじゃないけど、自分に厳しいクセが自分にある。
とくに良くないと思うのは、わたしはしんどくなると気持ちがすさんで、ダークゆみこが顔を出し、「どうして自分だけこんな思いをしなゃいけないのか」と近しい人(とくに家族、ていうか夫)に不機嫌をまき散らしたりもしちゃうこと。そういえば、最近読んだ水谷緑さんのコミック『被害者姫』も思い当たりすぎてつらかった。
そういうのはもう嫌だし、面倒な自分に戻りたくない。
できるだけ自分にやさしくする生き方をしたい。
同時にもうひとつ、「自分が誰かにやさしくすることを大事にしたい」とも思っています。誰かが自分にやさしくしてくれたら、そのやさしさがしみて「そんなふうにやさしく生きたい」と思えて、「自分の厳しさ」に気づき、手放すことを意識しようとできるから。
やさしさも、まわりまわるんだなと思う。だからわたしも、誰かのためであり、自分のためにも人にやさしくなりたい。
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