軽い人間関係でもいいじゃない。
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5月31日、キックボクシングのジムの最終日(退会日)。入会が2023年5月10日(会員カードに明記されている)だったので。本当に2年ちょい。
更年期のホルモン補充治療を始め、もっと体力もつけたいし、あわよくば浮遊性めまいもなんとしたい! なんて一心で、突如入会したあの日から2年……。
まぢで泣きそうになって、他の人に「ありがとう」「楽しかったです」と握手して回りたい気持ちになったけど、わたしはここで「友達をつくらない」というルールを自分に課していたので、誰にもそんなことはできなかった。
わたしは社交性がそこそこ高く、電車とか横断歩道とかで隣合った人ともすぐに前置きなしで話してしまうような「ザ関西のおばちゃん」体質で、定期的にジムに通い始めたら、「知り合いがどんどん増えたらどうしよう」と当初自分が心配だった。
だから「ジムでは友達をつくらない」というルールを自分に課した。
電車とか横断歩道で隣合う人は「そのときだけ」の限定された関係なので、後腐れもないし、よっぽどのことがなれば「深まる」こともない(何度か、「世にも奇妙な話」的によっぽどのことがあった経験もあるんだけど)。
基本、その場限りだから気楽に話せる。「初めて会うだけ(もう二度と会わない)から話せる」のだと、わたしは思う。
「継続する」人間関係には波がある。 車でいうと、仲の良い友人なんかでも、一気にトップギアに入って、メーターがかきーんと振り切れるようなテンションの爆上がりの瞬間もあるし、ローギアで重たくぶるるるると震動しているだけみたいな時もある。
付きあいが長くなると、そんな盛り上がってばかりでもいられないし。日常というのは基本ローギア。じゃないと燃料もすぐに切れちゃうし、ボディもつかれるから、それでいいんだと思う。
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話が逸れたけど、わたしにとってキックボクシングのジムは、身体的にトップギアに入れるような場所と時間だったので、他のことにはエネルギーを使いたくない。人間関係で気を1ミリも使いたくない。
なので人間関係方面アンテナはスリープモードでオフにして、レッスン時の身体エネルギーを全開放にして、手持ちの薪をぜんぶくべて、ひたすら身体で使い切る。そんな感じだったのでした。
わたしが通っているジムは、それぞれが好きに過ごすってことを大前提にしてくれていて、「仲良しにならなくてもいい」場の空気が大好きでした。
(長く通われているっぽくて、活発に「社交」している人ももちろんおられて、「仲間がいる」楽しさも望めばあるんだなと、あたたかく感じていました)
スタッフの皆さんとは挨拶プラスひと言程度で、十分、楽しかったです(レッスン時は超パワーももらえる声がけだったし)。
さて、そんな社交力マイナスモードで通っていたジムでさえ、退会して10日近く経ってみると、あそこで「人に会う」だけで、思っていた以上に意味があったんだなと気づかされるような今日この頃。
いえ、お仕事などでは、むしろしっかりと話し込んだり(インタビューの仕事もありますし)しています。濃密で深い関係性、時間。
でも、それはある意味「非日常」というか特別な時間。ジムのスタッフの皆さんと「軽く、ぱぱっと話をする」という機会が、実はわたしの日常には、程よく、軽やかに、ただ関わるという時間になってたんだなあ。
「軽い人間関係」っていうと、浅いような、意味のないようなもので、「(仲間みたいな)深い人間関係」こそ良きものかと思ってしまうけど、案外両方必要なんだなあと気づかされるような。
遠い昔の勤め人時代を思い出してみると、毎日がっつりどっぷり真剣勝負でやり取りしていた編集部の仲間とは、だから生まれる関係性もあって、それは面白いし、得がたいものではあった。
けれど、休憩がてら自販機でチオビタとか買ってごくごく一気のみして、ついでに社内散歩がてら、ちょっと離れた経理のコーナーに寄ってみて、「そろそろ入稿ですか?」「そちらは決算ですよね」「お互いに生き延びて来月をむかえましょうね」なんて立ち話すると、ずいぶんと気が楽になったりもしたよなあ。 ああいう時間に「生き返る」みたいなことが起きていて、だからまた戦場みたいな編集部に戻れたなあ、なんて。
いろんな場面、いろんな人間関係が自分を励ましたり、癒したりしてくれているんだなあ。
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なんてことを思いながら、いや、しかし、人間関係もだけど、身体はどうなの?
6月に入ってジムに行かなくなって、ひたすらオフィスチェアに座り込んで(最近暑くなってきて、お尻が蒸れそうだわ)、運動とは無縁になり、近所のスーパーに自転車を漕ぐ程度の自分はさすがにどうかと思う。
運動不足という言葉さえ、自分にはなにかが不足しすぎてて口にできないような動かなさっぷりではないか。