エコモードの三連休に、一気読みさせてくれた本

集中力が枯渇し、どろんどろんの連休でした。なのに手にするや一気に読んだ、いや、読まされた本のお話。
青山ゆみこ 2025.11.24
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こんにちは。
先週は、担当している大学の授業が8回目回で、ちょうど折り返したところでした。

どこかほっとしたのか(まだ半分あるのに、なぜ、ほっとするのか?)、相変わらずあれこれ起きているせいもあるのか、じんましんはもう治ったし元気なはずなのに「どっときた」みたいな感触があったんです。

iPhoneでいうと「低電力モードになりました」通知が出て、動きが鈍いような(つまり怠いとか、重たいとか)。

そんなわけもあり、この三連休は身体が「エコモード」に切り替わり、必要最低限のことをこなすだけ、いや、本当は今やった方がいいんだろうなあと思うことも先送りしつつ、でも、人と会うこと、本を読むことはわたしを助けてくれるので、そこはむしろ前のめりでする……なんて感じでした。

だらりとソファで寝転んでスマホを眺めていると、東京方面からは文学フリマやK-BOOKフェアの投稿がSNSに流れてくる。見るだけで生命値が回復するようで、なんだかありがたかったです。誰かが楽しそうにしていたり、わくわくどきどきしている、そんな気配に触れるって、お裾分けしてもらえるみたいにありがたい。

ですけれども、気持ちは「ぱっ」と上がるのに、同時に身体がそれにはついていけなくて、どこか軽く心がざわつくようなこともあります(わたしは)。

「羨ましい」とまではいかないけど、なんか、なんか、ああ、いいなあ、と胸のあたりが一瞬濁るような感じかな。すぐに切り替わって忘れちゃったりするけれど「冬の強い風が吹いたあと、運動場にくっきり引かれていた白線が、砂混じりでぼやけてにじんでいる」みたいになにかが起きている(わかりにくい)。

つまり、これは、なんですね。やはりどこか疲れている(のだろうなあ)。
でも、この世の中、疲れてない人なんている!? いる!?(2回聞いた)

なんか頭も重たいし、胸のあたりもつかえているようで、ていうか軽く吐き気もしている。そんなことをもごもご夫にぼやくと、心臓に詳しい(自慢にはならないが)夫が血圧を測れと言う。血圧上がってるんちゃうか、と。
えー、それするの、気が重いんよなあ(ため息)。

というのもわたしは血圧が高め不安定なんです。もうかれこれ10年前くらいから健康診断でいつも血圧項目で「要注意」の指摘を受けます。まあ、これも加齢よなあ。

さらには、高いといっても上が148とかで下が98とか。高めだけど「絶対ヤバい」という数値でもない微妙さなので、検査結果では「気をつけましょう」「はい、でも具体的にどうしたらいいのか」という平行線。

血圧ついでにもひとついうと、これはすごく恥ずかしい気持ちになることなのですが、血中の脂肪値も高くて、高脂血症の診察を受けましょう、みたいなことも毎回指摘されます。これはもう15年以上じゃないかな。でも数値は高めで(しつこいけど)安定している。

一度、思い切ってこの二つを解決したことがありました。『元気じゃないけど、悪くない』(ミシマ社)で細かく書いたのですが、パーソナルトレーニングに通い、それなりに運動し、食生活を全部やり替えて「ぎゅんぎゅんに絞った」。するとこの二つの数値が見事にクリアされて、全く問題なくなったんです。超健康(判子、ばーん!)。

運動と食事。それが改善の方法。わかっている。だから、よけいにどうにもできない気がしちゃうんですよね。もうあんな修行僧のような禁欲的な生活は嫌だと全身全霊で拒否してしまう。さらにいうと、あそこまで自分を抑制し、コントロールしようとしたから、脳は迷走して振り切れたんじゃないかという推測も捨てきれません。

あ、わかっています。程度の問題だと。
やりすぎないで、ほどほどにすればいいだけだと。適度に運動して、適度に食事を気にしたらいいだけなんですよね。

極論に走りすぎー。それがわたしの相変わらずの命題で、ほんと自分が頑固だなあと呆れます。わかっているから、言われると腹が立つので自分で先に言っておきますね。アドバイスとかまぢでいらんしっ(ああ、またひとりでそんな興奮しちゃって、自分が嫌だわ)。

なんの話でしたっけ。
こういうふうに頭がぼんやりしているので、今日のレターもしどろもどろでごめんなさい。

そんなそんなだるんだるんぐでんぐでんのわたしなのに、昨日、お取り置きをしていた本をジュンク堂書店三宮店に取りに行って、帰宅してご飯を食べた後、手にしたら一気に読んでしまった。それが齋藤美衣さんの『やっと言えた』(医学書院)だったのです。

集中力も枯渇気味だったわたしなのに、もう一瞬も目を逸らせずに読まされた。圧倒的な力のある一冊。

簡単に感想を言える本ではないけれど、思ったことが多すぎて、お話したいことがどんどん溢れてしまいそう……。でも、まだ読まれていない方も多いでしょうから、あまり言いません(ぐっとこらえる)。

ただ、カウンセリングについて、ここまで丹念に記録された文学作品もないのではないでしょうか。一度受けようかなと迷われている方は、なにかヒントがあるようにも思えます。よろしければ、ぜひ。
わたし自身はカウンセリングを単発で受けたこともあります(以前に少し書いたように)。でも、一度しっかり本気で受けてみようかな。そんなふうに心が動きました。同時に、その理由を自分が知りたい。そんなことも考えました。

驚き、傷つき、腹を立て、かなしみ……齋藤さんが読んでいるわたしにいろんなことをさせてくれて、このような言い方は利己的にも思えるのだけれど、あえて「読み手のわたしも浄化された」とも言いたい一冊です。

よくここまで書いてくださったな。生半可な覚悟では無理だろう。ご自身にも、関わった人にも敬意を感じる本当に丁寧な筆。書き手として圧倒されました。

心のことは身体的。そのことも丁寧に丹念に描かれていて、齋藤さんがこの本を書かれたことが、彼女自身のためでもあるけど、それだけじゃない、誰かのためだってことも強く伝わってきて胸がぎゅっとなって、読後感はとてもあたたかい。

余韻が希望。

これもあまり使いたくないけど、「過酷」と言いたくなる体験の数々を書いて、その上で、読んだ人にこんなにやさしい希望の余韻をくれるなんて……齋藤さん。彼女に触れたい。それが一番に感じたことかも。「触れたい」というのは、読んでいる最中から感じていたのです(読んだ方にはわかるかも)。

本が全然読めない、読ませてもらえないこの秋、そして冬の始まりに、小川公代さんの『ゆっくり歩く』、牟田都子さんが編者となった『贈り物の本』。その次に齋藤さんの『やっと言えた』が読めて、わたしはなんて幸運なんだろう。他の誰も言わなくても、自分でそう思えます。だからわたしは大丈夫だ。本がこうして助けてくれる。

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